director

 

監督:マルク・プティジャン

「肥田医師の目を通して眺められた福島原発事故の様々な結果。肥田医師は広島原爆の重要な目撃者であり、60年間にわたって被爆者の治療を続けてきた医者である。10年前に私が初めて肥田先生を撮影した映画の思い出、および1945年の原爆による放射能がいかに危険であるかを先生が発見した経緯が、福島原発の被害者の今日の状況と重なってくる。

この映画は日本に、なかでも福島の災害や広島の過去に深い関心を抱く私の個人的な見地を表現し、あわせて時の移ろい、記憶、現実の認識といった問題への関心も表現する。日本における1945年から今日に至る時空を駆け巡る考察である。」

 

映画監督、写真家、1951年パリ生まれ。

ウェブサイト : http://www.marcpetitjean.fr

パリ大学で造形美術と美術史を学ぶ。卒業研究は「ハイチの芸術とヴードゥー教について」。1975年、アメリカの芸術家ゴードン・マッタ=クラークに関する最初のドキュメンタリー映画を制作、引き続き建築家のレンゾ・ピアノ、彫刻家のセザール、ナンシー美術学校に関する映画において芸術と創作活動の問題を問い続ける。2000年以降は社会問題に関心を移し、社会的・経済的・政治的現実に直面する特異な人物達に焦点をあてた「警察学校」、「デュプレシスの孤児達」、「企業他国進出」を制作。2007年の「グレイゾーン」ではエッセイ風でより内省的な映画への道を開く。

2005年、初めて日本を訪れ、広島原爆の生き残りで被爆者の治療医師肥田舜太郎に関する映画「核の傷」を制作。2010には社会の周辺に生きる非正規雇用の若者達を描く映画「東京フリーターズ」を欧州テレビ局アルテのために制作。翌年には京都のヴィラ九条山に三ヶ月滞在して人間国宝の友禅作家森口邦彦を描いた映画「人間国宝」を制作。2015年には肥田舜太郎医師を描く「ヒロシマ、そしてフクシマ」および東シナ海における中国の拡張主義の大バクチの様相を描く「東シナ海」を完成。

写真家としては対象に長期間にわたって取り組むのが特長で、写真集「地下鉄ランビュトー駅」は、1970年代からのボーブール地区の社会的・建築的変遷のあとを人間的な視点で15年以上に渡って克明に記録した作品である。この労作の展覧会はポンピドゥーセンターで行われ、書籍として出版された。ホームレスを取材した「日常証拠」シリーズの展覧会は、2006年リール市のパ・ド・カレー県地域文化センターで開かれた。

舞台デザイン家としては、ジャン・ピエール・ドニ、アモス・ジテ、パオロ・バルズマンの映画のデコレーションを担当し、シテ科学博物館、新凱旋門、フュチュール・スコープ、グラン・パレで行われる様々な展覧会のデコレーションも担当している。

その著書「ヒロシマからフクシマ」(2015年、アルバン・ミシェル書店刊行)で、マルク・プティジャンは肥田舜太郎医師の闘いと生涯を語り、原爆の被害を受けた唯一の国である日本がどのようにして原子力平和利用の道に進んだかを説明している。

 

映画作品目録

・ドキュメンタリー映画

「東シナ海、群島をめぐる戦い」2015年、53分。

「人間国宝」2012年、80分

制作Mirage Illimité. 日本基金、アンスティテュ・フランセ(ヴィラ九条山)
2014年Histoireテレビ局で放映、パリで上映。

「東京フリーターズ」2010年、47分

TSプロダクション。アルテで放映。

「グレイゾーン」2007年、78分

制作マルク・プティジャン/アントワーヌ・ド・ガルベール

2010年 Histoireテレビ局で放映、パリで上映。

2007年 モントリオール・ドキュメンタリー映画祭参加。

「核の傷」2006年、53分

制作マルク・プティジャン。

放映 、RTBF局、Tele-Quebec局、Russia Today局

ヒロシマ平和映画祭、シネ・エコ(ポルトガル)で若者賞受賞。

2006年モントリオール・ドキュメンタリー映画祭参加。

2007年ニューヨーク近代美術館ドキュメンタリー・フォートナイト参加。

2007年パリ環境映画国際フェスティヴァル参加。

「企業他国進出」2005年52分

制作リュ・シャルロ・プロダクション。フランス国営テレビ局5局放映。

「デュプレシスの孤児達」2003年、52分

制作Coup d’œil、アルテで放映。

モントリオール・ドキュメンタリー映画祭で選抜。

「警察学校」2001年、52分

制作Forun des Images Cargo Films. フランス国営テレビ5局放映。

 

producer

プロデューサー:山本顕一

 

1935年北九州市に生まれるが、父幡男の満鉄の調査部就職に伴い生後一年で満州の大連市に渡り、幼時を満州で過ごす。父は敗戦後シベリアに抑留され、1954年ハバロフスクの矯正収容所で無念の病死。家族に宛てた長文の遺書は収容所の仲間たちが暗記して届けた。このいきさつは辺見じゅん著『収容所から来た遺書』(文春文庫)に記述されている。敗戦翌年の1946年9月、母は顕一を長男とする4人の子供を引き連れて郷里の島根県隠岐の島に引き揚げ、苦難のうちに子どもたちを育てる。県立松江高校を卒業後、偉大なユマニスト渡辺一夫教授を慕って東京大学フランス文学科に入学。同期に大江健三郎、高畑勲がいる。大学院修了後立教大学に就職。37年間同大学でフランス語フランス文学を教え、2001年定年退職。2012年ある講演会で接した肥田舜太郎医師の姿に大きな感銘を受け、フランス人のプティジャン監督の映画「ヒロシマ、そしてフクシマ」制作に協力する。

 

著書:

「フランス語ハンドブック」(白水社、共著)
「新たな文学語の創造」(大修館・フランス文学講座6所収)

翻訳:

ボナヴァンチュール・デ・ペリエ「キュンバルム・ムンディ」(集英社・世界短編文学全集5所収)
アンドレ・テヴェ「南極フランス異聞」(岩波書店・大航海時代叢書第2期19所収)
シモーヌ・ヴェイユ「工場生活の経験」(春秋社・シモーヌ・ヴェイユ著作集2所収)

 


 

監督・撮影・編集:マルク・プティジャン

プロデューサー:山本顕一

出演:肥田舜太郎 、野原千代、三田 茂、他

挿入動画:ロマン・ルノー

音楽:リーズ・ノラ

音声:百々保之

通訳・コーディネーター:人見有羽子

翻訳:岩貞佐和

制作プロダクション:ミラージュ・イリミテ

製作:ドミニク・ベロワール/マルク・プティジャン

日本語ナレーション:水津 聡

日本語字幕:山本顕一

国際配給:Docandfilms

原題:De Hiroshima à Fukushima— Le combat du docteur Hida

配給・宣伝:太秦
© MIRAGE ILLIMITE / HISTOIRE 2015