マルク・プティジャン監督による製作ドキュメント

Hida et Marc

・この映画制作の意図

肥田先生に出会うことがなかったら、私は核の問題に関わる映画など作らなかったであろう。先生のこれまでの生き方、他人のために尽くそうという態度はまさに世のお手本となるべきものである。私はこの映画を見る人にこうした私の賛嘆の気持を共有してもらいたいと願った。私はまた、この福島の事故を契機に核の将来をどう考えるか、あるいは民主主義のあり方をどう考えるか、この映画を見る人々に考えを促すことも目的とする。

この映画は、内部被曝の隠蔽の問題にも触れる。肥田医師は広島に原爆が落とされてから何年もたって後になっても患者達には被曝の兆候が多く見られたこと、ところがアメリカ軍や権力側は核による被害はすっかり終わったと断言したこと、を証言する。そして、これはどういうことなのかを解き明かす。今日も福島でも同じことが起こっている、と先生は考える。権力側は疫学的な調査がまだ完全に終わっていないのに、避難者に汚染地帯の自宅に帰るように促している。

核利用の発明の技術的な成果はある意味ではすばらしいことかも知れない。不幸なことにこの発明の軍事的利用は人類に破局的な被害を与えた。原子力を発電のために利用することは、一時は必要であったかも知れないが、もはや経済的にも採算の取れないものとなっている。チェルノブイリや福島の事故の後、そこから教訓を引き出さなければならない。原子力発電はすべて停止し、核に替わる新しいエネルギー源を求めなければならない。ドイツでそれが実現したようにフランスでも日本でも再生利用可能エネルギーへの投資を大いに進めるべきである。

この映画は物事のありのままを示し、観客に物事を深く考えるよう促す。観た後は各人が家族や、まわりの人々や医者たちと議論し合い、自分自身の考えを深めてほしい。

この映画はすべての人々によって見られるべきであろう。汚染地帯に住む人々だけではなく、原子力利用による電気を使用する人々すべてにことは関わるからである。こんな大きな災害をもたらすエネルギーを私たちは利用して生きようというのであろうか?

 

何が起こるかをはっきり意識すれば、私たちは生き方を選ぶことができる。代議士たちをして、社会にそぐわないものを変えて行くように仕向けることだ。デモクラシーは完璧なシステムではないにしろ、各人に自分の運命に対し責任を持ち、自分が暮らしたいような社会を選ぶことを可能にしてくれる。デモクラシーに正しく参加できるのは、物事の現実をはっきりと見据えることによってのみである。

 

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・製作ノート

2005年に私が肥田先生を撮影するために日本にやって来たのは、先生の著書『広島の消えた日』を読んだからであった。原爆に遭遇してから先生がどう生きてきたかが医者の診断書のように正確に飾り気なく語られていた。一緒に広島を訪れたり、東京近郊の病院で先生が働く姿に何日も接したり、核兵器に対する先生の闘いをフィルムに収めたりしているあいだに、先生と私は友情の絆で結ばれるようになった。こうして2006年に映画『核の傷』が出来上がった。

2011年3月11日、大震災が起こったとき、私は京都のヴィラ九条山に居住して、ある人間国宝の友禅作家の映画を制作中であった。その時、私は多くの日本人たちと連帯感で結ばれた。特に福島原発爆発後の放射能汚染の脅威に関して。私は肥田先生と再び連絡を取った。先生はマスメディアで福島の放射能汚染と広島長崎のそれとの類似を指摘していた。その後の数ヶ月、私は日本各地での肥田先生の講演会の様子を撮影した。人々は原発事故が健康に及ぼす影響に関して大きな不安を持っていたので、先生の話を聞きに集まった。

 

映画は肥田先生を直接撮影したシーンのつなぎ合わせと、福島に関する政府発表と正面から対立する数々の情報と、監督のナレーションと、音声や音楽の構成要素の組み合わせから成り立っている。ドラマティックな緊張感が盛り上がってくるのは、様々な人物が次々と現れることによって放射能汚染の様々な発現の現実が示されることによってであり、それらは公式的な発言や政府の対応の不十分さを対照的に明らかにする。

 

昨年11月、私は野原千代さんの死亡報告に接して深く悲しんだ。彼女は福島災害後の蝶における内部被曝の研究に打ち込んだ高い能力を持つ研究者であった。私は沖縄の彼女の研究室で彼女を撮影した。科学的な厳密性と人間的な感受性をあわせ持つこの強靱で正義感に溢れる彼女の人格を忘れることができない。今私はこの映画を彼女に捧げたいと思っている。

 

映画を完成させると直ぐ、私は「HiroshimaからFukushima」(原題:De Hiroshima à Fukushima : Le combat du Dr Hida face aux ravages dissimulés de nucléaire)という本を書き、2015年にアルバン・ミシェル書店から出版した。

映画には取り入れることが出来なかった肥田先生との対話をまとめる必要があると考えたからである。肥田先生の生涯と闘いがこの本の中で詳細に記されている。

私はまた、世界で唯一の原子爆弾の被害国である日本がどのようにして核の民間利用の道に進んだのかを説明したいと思った。

 

どうして広島・長崎の原爆被爆者たちは核の民間利用に反対しなかったのであろう?

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